百人一首 なぜこの人・なぜこの一首:第8番喜撰法師
2010-03-07


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しかし「世をうぢ(憂し)山」の句には自分自身に対する苦い皮肉が含まれるようにも聞こえ、単純なライト・ヴァースには終らない、一癖ある歌です。「老来、中風で手足の不自由を嘆くことのひどかった定家の姿が、そこに見えるような気がする」との指摘(安東次男『百首通見』)は鋭い。『百人秀歌』で小野小町(「…我が身世にふる…」)と合せていることを考えれば尚更です。いずれも厭世観の漂う歌ですが、小町の歌では老いた我が身を、喜撰の歌では遁世した我が身を、「他人ごとのように」(安東次男前掲書)眺めている歌という点で似通っています。
ところで定家は七十二歳になる天福元年(1233)冬に出家、法名「明静」を称しています。定家にとって「世を憂ぢ山」の歌はいにしえの名歌である以上に、つよい親近感をおぼえる一首だったのではないでしょうか。

なお、定家はこの歌を『五代簡要』『定家八代抄』『秀歌大躰』に採り、また「春日野やまもるみ山のしるしとて都の西も鹿ぞすみける」「わが庵は峯の笹原しかぞかる月にはなるな秋の夕露」などと本歌取りしています。

さて、最後に、この歌の配置について少し考察してみましょう。『百人秀歌』では第14番、小野小町の次に置かれている喜撰は、百人一首では第8番、仲麿の次に置かれています。この違いは何故生じたのでしょうか。
仲麿の次に喜撰を置いた理由について、たとえば『改観抄』の契沖は「宇治山をよめるをもて上の三笠山に類せられたるにや」と推察していますが、私の考えは全く異なります。百人一首の配列原理は次の二点にあると考えるからです。

  1. 和歌の歴史の流れを辿れるように、時代順に並べる。
  2. 和歌の多彩な変化を味わえるように、なるべく同季節・同趣向の歌は並べない。

但し、集中四十三首の多くを占める恋歌については、2の「同趣向の歌は並べない」が適用されず、同じ難波を用いた歌が続いたり(19番伊勢・20番元良親王)、同じ歌合に同じ題で出詠された歌が続いたり(40番平兼盛・41番壬生忠岑)しています(この理由については後述します)。

百人一首と『百人秀歌』の配列比較表を再び掲げてみましょう。今度は二十番目まで。

 百人一首     百人秀歌  
1番  天智天皇   秋(露)    左に同じ   秋(露) 
2番  持統天皇   夏(衣)      〃    夏(衣) 
3番  柿本人麿   恋(鳥)      〃    恋(鳥) 
4番  山辺赤人   冬(雪)      〃    冬(雪) 
5番  猿丸大夫   秋(鹿)    中納言家持  冬(霜)
6番  中納言家持  冬(霜)    安倍仲麿   旅(月)
7番  安倍仲麿   旅(月)    参議篁    旅(舟) 
8番  喜撰法師   雑(山)    猿丸大夫   秋(鹿) 
9番  小野小町   春(花)    中納言行平  別(松)
10番  蝉丸     雑(関)    在原業平朝臣 秋(紅葉)
11番  参議篁    旅(舟)    藤原敏行朝臣 恋(波)
12番  僧正遍昭   雑(節会)   陽成院    恋(川)
13番  陽成院    恋(川)    小野小町   春(花)
14番  河原左大臣  恋(染)    喜撰法師   雑(山)
15番  光孝天皇   春(若菜)   僧正遍昭   雑(節会)
16番  中納言行平  別(松)    蝉丸     雑(関)
17番  在原業平朝臣 秋(紅葉)   河原左大臣  恋(染)
18番

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