しかし「世をうぢ(憂し)山」の句には自分自身に対する苦い皮肉が含まれるようにも聞こえ、単純なライト・ヴァースには終らない、一癖ある歌です。「老来、中風で手足の不自由を嘆くことのひどかった定家の姿が、そこに見えるような気がする」との指摘(安東次男『百首通見』)は鋭い。『百人秀歌』で小野小町(「…我が身世にふる…」)と合せていることを考えれば尚更です。いずれも厭世観の漂う歌ですが、小町の歌では老いた我が身を、喜撰の歌では遁世した我が身を、「他人ごとのように」(安東次男前掲書)眺めている歌という点で似通っています。
ところで定家は七十二歳になる天福元年(1233)冬に出家、法名「明静」を称しています。定家にとって「世を憂ぢ山」の歌はいにしえの名歌である以上に、つよい親近感をおぼえる一首だったのではないでしょうか。
なお、定家はこの歌を『五代簡要』『定家八代抄』『秀歌大躰』に採り、また「春日野やまもるみ山のしるしとて都の西も鹿ぞすみける」「わが庵は峯の笹原しかぞかる月にはなるな秋の夕露」などと本歌取りしています。
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さて、最後に、この歌の配置について少し考察してみましょう。『百人秀歌』では第14番、小野小町の次に置かれている喜撰は、百人一首では第8番、仲麿の次に置かれています。この違いは何故生じたのでしょうか。
仲麿の次に喜撰を置いた理由について、たとえば『改観抄』の契沖は「宇治山をよめるをもて上の三笠山に類せられたるにや」と推察していますが、私の考えは全く異なります。百人一首の配列原理は次の二点にあると考えるからです。
但し、集中四十三首の多くを占める恋歌については、2の「同趣向の歌は並べない」が適用されず、同じ難波を用いた歌が続いたり(19番伊勢・20番元良親王)、同じ歌合に同じ題で出詠された歌が続いたり(40番平兼盛・41番壬生忠岑)しています(この理由については後述します)。
百人一首と『百人秀歌』の配列比較表を再び掲げてみましょう。今度は二十番目まで。
百人一首 | 百人秀歌 | |
1番 | 天智天皇 秋(露) | 左に同じ 秋(露) |
2番 | 持統天皇 夏(衣) | 〃 夏(衣) |
3番 | 柿本人麿 恋(鳥) | 〃 恋(鳥) |
4番 | 山辺赤人 冬(雪) | 〃 冬(雪) |
5番 | 猿丸大夫 秋(鹿) | 中納言家持 冬(霜) |
6番 | 中納言家持 冬(霜) | 安倍仲麿 旅(月) |
7番 | 安倍仲麿 旅(月) | 参議篁 旅(舟) |
8番 | 喜撰法師 雑(山) | 猿丸大夫 秋(鹿) |
9番 | 小野小町 春(花) | 中納言行平 別(松) |
10番 | 蝉丸 雑(関) | 在原業平朝臣 秋(紅葉) |
11番 | 参議篁 旅(舟) | 藤原敏行朝臣 恋(波) |
12番 | 僧正遍昭 雑(節会) | 陽成院 恋(川) |
13番 | 陽成院 恋(川) | 小野小町 春(花) |
14番 | 河原左大臣 恋(染) | 喜撰法師 雑(山) |
15番 | 光孝天皇 春(若菜) | 僧正遍昭 雑(節会) |
16番 | 中納言行平 別(松) | 蝉丸 雑(関) |
17番 | 在原業平朝臣 秋(紅葉) | 河原左大臣 恋(染) |
18番 |