殷協律(いんけふりつ)に寄す 白居易
五歳優游同過日 五歳の優游(いういう) 同(とも)に日を過ごし
一朝消散似浮雲 一朝(いつてう)消散(せうさん)して浮雲(ふうん)に似たり
琴詩酒伴皆抛我 琴詩酒(きんししゆ)の伴(とも) 皆我を抛(なげう)ち
雪月花時最憶君 雪月花(せつげつくわ)の時 最も君を憶(おも)ふ
幾度聽鷄歌白日 幾度(いくたび)か鶏(けい)を聴き白日(はくじつ)を歌ひ
亦曾騎馬詠紅裙 亦(ま)た曾(かつ)て馬に騎(の)り紅裙(こうくん)を詠ず
呉娘暮雨蕭蕭曲 呉娘(ごぢやう)の暮雨(ぼう)蕭蕭(せうせう)の曲
自別江南更不聞 江南に別れてより更に聞かず
【通釈】五年の間、君と過ごした楽しい日々は、
或る朝、浮雲のように消え散ってしまった。
琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、
雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。
幾たび「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。
馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。
呉娘の「暮雨蕭々」の曲は
江南に君と別れて以後、二度と聞いていない。
【語釈】◇五歳の優游 五年間楽しく遊んだこと。◇聽鷄歌白日 「黄鷄」を聴き、「白日」を歌う。「黄鷄」「白日」は詩人が杭州にいた頃聞いたという歌の曲名。◇呉娘 「呉姫」とする本も。呉二娘とも呼ばれた、江南の歌姫。「暮雨蕭蕭、郎不歸」(夕暮の雨が蕭々と降り、夫は帰らない)の詞を歌ったという。
【補記】江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった協律郎(儀式の音楽を担当する官職)殷(いん)氏に寄せた詩。共に江南で過ごした日々を懐かしむ。宝暦元年(825)、五十四歳頃の作。第三・四句を「琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君」として和漢朗詠集巻下「交友」の部に引かれている。この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。
【影響を受けた和歌の例】
いくとせのいく万代か君が代に雪月花のともを待ちけん(式子内親王『正治初度百首』)
白妙の色はひとつに身にしめど雪月花のをりふしは見つ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
面影も絶えにし跡もうつり香も月雪花にのこる頃かな(土御門院『御集』)
よしやその月雪花の色もみなあだしうき世のなさけと思へば(伏見院『御集』)
入るを恨み消ゆるを惜しみうつろふを嘆くや同じ心なるらむ(加藤千蔭『うけらが花』)
夕月のかげもひとつにかすみつつ花につづける富士の白雪(松平定信『三草集』)
見れどあかぬ月雪花の三つあひにわが玉の緒は縒りや掛けまし(加納諸平『柿園詠草』)