酔吟 二首 白居易
其一
空王白法學未得 空王(くうわう)の白法(びやくはふ) 学ぶこと未だ得ず
〓女丹砂燒〓飛 〓女(たぢよ) 丹砂(たんさ) 焼けば即(すなは)ち飛ぶ
事事無成身也老 事事(ことごと)に成すこと無くして身また老いたり
醉ク不去欲何歸 酔郷(すいきやう)に去らずして 何(いづ)ちか帰(き)せんとする
其二
兩鬢千莖新似雪 両鬢(りやうびん)の千莖(せんかう) 新(しん)なること雪に似
十分一盞欲如泥 十分(じふぶん)の一盞(いつさん) 泥の如くならんと欲(ほつ)す
酒狂又引詩魔發 酒狂(しゆきやう) 又詩魔(しま)を引いて発(ほつ)し
日午悲吟到日西 日午(にちご)悲吟(ひぎん)して 日の西(にし)するに到る
【通釈】其一
仏陀の尊い教えは未だ学び得ず、
仙薬のため水銀丹砂を焼けば、たちまち飛散してしまう。
事ごとに成し遂げることなく身は老いてしまった。
酔いどれの天国に去るほか、私の行き場所はあるまい。
其二
わが千本の双鬢、それは雪のように白い。
十分に注いだ一盞、これで泥のように酔おう。
酒の昂奮が詩作の魔を引き起こし、
正午より時を忘れて悲吟し、日没に至る。
【語釈】其一◇空王 四劫(しごう)のうちの第四、世界が壊滅した後の虚無の期間である空劫(くうごう)に出現する仏。◇白法 清浄な仏法。「白」は第二句の「丹」と対偶。◇〓女 道家の語で水銀を指す。水銀・丹砂は不老長寿の仙薬の調合に必要とされた物質。◇丹砂 水銀と硫黄の化合物。辰砂。◇酔郷 酒による陶酔郷。
其二◇千莖 たくさんの毛髪。「千」は第二句の「一」と対偶。「莖」は細く長いものを数える助数詞。◇十分一盞 なみなみと注いだ一杯の酒。◇詩魔 詩情を起こし、詩作へ耽らせる不思議な力。◇悲吟 悲しみに泣くように吟じながら詩作する。
【補記】其一の第一句は仏教に、第二句は道教に志して挫折したことを言う。第三・四句が和漢朗詠集巻下「述懐」の部に引かれている。但し第四句は「醉郷不知欲何之」とあり、「酔郷を知らず何ちかゆかんとする」などと訓まれる。下記和歌はいずれも其一の第三句を踏まえたものである。
【影響を受けた和歌の例】
うづもれぬ後の名さへやとめざらむ成すことなくてこの世暮れなば(藤原良経『続古今集』)
月日のみなすことなくて明け暮れぬ悔しかるべき身のゆくへかな(同上『千五百番歌合』)
いたづらに秋の夜な夜な月見しもなすことなくて身ぞ老いにける(二条為定『新千載集』)
なす事もあらじ今はのよはひにも惜しみなれたる年の暮かな(烏丸光弘『黄葉集』)