明けましておめでたうございます。本年もどうぞよろしくお願ひ申し上げます。
正月三日の夜も更けましたが、まだお屠蘇気分に浸つておいでの方も多いことでせう。
さてその「お屠蘇」ですが、本来はさまざまな薬草を調合した「屠蘇散」を袋に入れて浸した中国の薬酒で、一年の邪気を払ひ長寿を願つて飲まれる祝ひ酒でした。後漢末の名医華佗(かだ)(?〜208)により調合されたとの伝もあるほど古い由緒を持ちます。
楚の民間の風俗を記し、中国現存最古の歳時記と言はれる『荊楚歳時記』(西暦6世紀成立)の正月一日の項には次のやうな記事が見えます。
日本には平安時代に伝はり、朝廷の元日行事として屠蘇を飲むことが採り入れられました。『土左日記』の承平四年(934)の年末の記事に「医師(くすし)ふりはへて屠蘇・白散(びやくさん)、酒くはへてもて来たり」とあり、民間にも普及してゐたことが窺はれます。
調合する薬草には烏頭(うづ)すなはちヤマトリカブトの根茎といふ毒性の強いものも含まれたためでせうか、天皇が召し上がる際はお毒見役が付き、これを薬子(くすりこ)と言ひました。
「毎春の今日元日、最初にお味見する薬子は、何度も若返り千世を見る大君の御為であるとか」。
南北朝時代の貞治五年(1366)十二月、二条良基が主催した歌合に出詠された歌。有職故実に通じてゐた良基は判詞で屠蘇についての薀蓄を披露してゐます。
屠蘇を年少者から順に飲む風習はやはり中国由来で、毒見役に童女を置くといふしきたりもこれに基づくものであらうと良基は推察してゐます。
屠蘇を天皇より先に童女が舐めることは、どうやらお毒見といふよりも、若返りを願つての儀式的な意味合ひが強かつたやうに見えます。為秀の歌も、さうした知識を踏まえてのものでせう。
今も年末に屠蘇散を用意する薬局はあり、安価ですし、入手は難しくありません(因みに現在では毒性の強い薬草を含まないので、全く安全とのことです)。屠蘇散は酒の香りを良くし、風邪の予防などにも効果があるさうです。元旦、古を偲びつつ本当のお屠蘇を味はつてみるのも良いのではないでせうか。
-----------------------------------------------------『雲玉集』(屠蘇白散の心をよみ申せし) 馴窓
おしなべて誰えつつみむ白く散る春さへ雪のむらさきの庭
『うけらが花』(薬児の絵に) 橘千蔭
ことしより生ひ先こもる薬児にあえなむ春ぞ限りしられぬ
『竹乃里歌』 正岡子規
新玉の年の始と豊御酒(とよみき)の屠蘇に酔ひにき病(やまひ)いゆがに
『赤光』 斎藤茂吉
豊酒(とよみき)の屠蘇に吾ゑへば鬼子(おにこ)ども皆死しにけり赤き青きも
『風雪』 吉井勇
大土佐の干鰯(ほしいわし)をば焼きて酌む年祝(ほ)ぎ酒はまづしけどよし