春の題を諸家の園林に尋ぬ 白居易
貌隨年老欲何如 貌(かほ)は年に随ひて老ゆるも 何如(いかん)せん
興遇春牽尚有餘 興は春に遇(あ)ひて 牽(ひ)かれて尚(な)ほ余り有り
遙見人家花便入 遥かに人家(じんか)を見て 花あればすなはち入(い)る
不論貴賤與親疏 貴賤(きせん)と親疏(しんそ)を論ぜず
【通釈】容貌は齢につれ老いるのも致し方ない。
楽しむ心は春に出遭い、誘い出されてなお余りある。
遥かに人家を眺めて、花が咲いていればただちに歩み入る。
身分が高いか低いか、親しい仲か疎い仲か、そんなことは気にしない。
【補記】馬元調本などでは巻三十三にある。同題の第二首。和漢朗詠集巻上春の部の「花」に第三・四句が引かれている。千里の歌は第三句の、慈円・定家の歌は第三・四句の句題和歌である。
【影響を受けた和歌の例】
よそにても花を哀れと見るからにしらぬ宿にぞまづ入りにける(大江千里『句題和歌』)
あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る(藤原敦家『新古今集』)
花を宿のあるじとたのむ春なれば見にくる友をきらふものかは(慈円『拾玉集』)
はるかなる花のあるじの宿とへばゆかりもしらぬ野辺の若草(藤原定家『拾遺愚草員外』)