東牆(とうしやう)の夜合樹(やがふじゆ)、去秋(きよしう)風雨(ふうう)の摧(くだ)く所と為る。今年(こんねん)花時(くわじ)、悵然(ちやうぜん)として感有り 白居易
碧〓紅縷今何在 碧〓(へきてい)紅縷(こうる)今何(いづ)くに在(あ)りや
風雨飄將去不迴 風雨(ふうう)飄将(へうしやう)し去つて迴(かへ)らず
惆悵去年牆下地 惆悵(ちうちやう)す去年牆下(しやうか)の地
今春唯有薺花開 今春(こんしゆん)唯(た)だ薺花(せいくわ)の開(ひら)く有るのみ
【通釈】碧い芽、紅い糸の合歓の花はどこに行ってしまったのか。
風雨に舞い上がり、去ったきり戻らない。
私は嘆き悲しむ。去年、垣根のほとりの地にあったのに
今年の春、そこにはただ薺(なずな)の花が咲いているばかり。
【語釈】◇夜合樹 合歓(ねむ)の木。夜に葉が重なり合うために「夜合樹」の名がある。初夏に赤い糸状の花をつける。◇碧〓 〓は茅花(つばな)であるが、ここは花芽をこう言ったか。合歓木の花芽は緑色である。◇飄將 ひるがえす。舞い上げる。「將」は飄の接尾辞で当時の俗語という。◇薺花 ナズナの花。春から初夏にかけて花をつける。
【補記】前年の秋の風雨に折れた合歓木。花の季節を迎えてその不在を悲しんだ詩である。芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」はこの詩を踏まえたものとする説がある。但し直接的には木下長嘯子の歌(下記引用歌)から影響を受けた可能性もある。
【影響を受けた和歌の例】
古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(木下長嘯子『挙白集』)