白氏文集卷十五 苦熱題恆寂師禪室
熱に苦しみ、恒寂師(こうじやくし)の禅室に題す 白居易
人人避暑走如狂 人人暑(しよ)を避け走りて狂(きやう)するが如し
獨有禪師不出房 独り禅師の房(ばう)を出でざる有り
不是禅房無熱到 是(こ)れ禅房に熱の到ること無きには不(あら)ず
但能心靜即身涼 但(た)だ能(よ)く心静かなれば即ち身も涼し
【通釈】世の人々は暑さを避けて狂ったように家を逃げ出す。
独り禅師のみは房中に籠もったままでいる。
師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。
ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。
【補記】酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩。和漢朗詠集の巻上夏「納涼」に第三・四句が引かれている。那波本は第三句「可是…」とし、この場合「可(はた)して是(こ)れ…」と訓まれる。大江千里と一条実経の歌は第四句の、他は第三・四句の句題和歌である。因みに結句は杜(と)荀鶴(じゆんかく)の「滅却心頭火亦涼(心頭滅却すれば火も亦た涼し)」に似るが、白詩の方が時代は先んじる。
【影響を受けた和歌の例】
我が心しづけき時は吹く風の身にはあらねど涼しかりけり(大江千里『句題和歌』)
心をや御法の水もあらふらむひとりすずしき松のとざしに(慈円『拾玉集』)
嵐山すぎの葉かげのいほりとて夏やはしらぬ心こそすめ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
しづかなる心ぞ夏をへだてけるてる日にもるる宿ならねども(寂身『寂身法師集』)
おのづから心しづけきむろの中は身さへ涼しき夏衣かな(藤原為家『為家集』)
人とはぬ深山の庵のしづけきに夏なきものは心なりけり(一条実経『円明寺関白集』)