和歌歳時記:つくつく法師 Tsukutsuku-boushi
2010-08-16


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秋の蝉と言へば蜩(ひぐらし)とつくつく法師。蜩の「カナカナカナ…」といふ鳴き声は人の情緒にしんみりと訴へるものがあるが、つくつく法師の声は対照的に元気で明るい。油蝉のやうな暑苦しさは感じられず、なかなかきれいな鳴き声で、思はず聞き耳を立ててしまふ程だ。「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」、あるいは「ツクリョーシ、ツクリョーシ」、あるいは「オーシーツクツク」…。いろんな聞きなし方があり、日本の蝉の中では最も多彩な声の持ち主だらう。

平安時代にも「つくつくぼふし」の名で呼ばれてゐたことは、藤原高遠の家集『高遠集』の次の一首から判る。

屋の端(つま)に、つくつくぼふしの鳴くを聞きて

我が宿のつまは寝よくや思ふらむうつくしといふ虫ぞ鳴くなる

「つま」は「(軒の)端(つま)」と「妻(つま)」の掛詞。我が家の軒端は寝良いと思ふのだらうか――我が家の妻は共寝に良いと思ふのだらうか――、「うつくし」と言つて虫が鳴いてゐるよ、といふ歌。

中古の頃の「うつくし」は今の語感と少し異なり、「愛らしい」といふニュアンスが強かつたと言はれてゐる。古人はつくつく法師の声に「いとしい、いとしい」といふ情愛の声を聞いたのだらうか。さう思つて聞けばさう聞こえないこともないが、やはり現代の我々の耳とはちよつと違ふのかなとも思ふ。

ところで中世から「山の蝉」を詠んだ秋の歌がちらほら見えるやうになる。中でも名高いのは源実朝の歌だ。

『金槐和歌集』  蝉のなくを聞きて

吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり

立秋の頃、鎌倉幕府周辺の山を散策しての作だらう。
この「山の蝉」のことを、私はずつと蜩だとばかり思つてゐた。和歌で秋の蝉と言へば圧倒的に蜩の人気が高いのだ。ところが、これは鎌倉に引つ越して初めて気づいたことなのだが、蜩は梅雨明け前後からもう盛んに鳴いてゐる。立秋近くなつて鳴き始める蝉と言へば、つくつく法師だ。私は、実朝が聞いた「山の蝉」はつくつく法師に違ひないと思ふやうになつた。

「山の蝉」といふ語を用ゐた歌では、他に次のやうなものがある。

『秋篠月清集』 雨後聞蝉  藤原良経

むらさめのあとこそ見えね山の蝉なけどもいまだ紅葉せぬころ

『後鳥羽院御集』 紅葉  後鳥羽院

山の蝉なきて秋こそ更けにけれ木々の梢の色まさりゆく

立秋頃から鳴き始め、木々が色づき始める頃まで鳴き続ける蝉といふと、つくつく法師しかないのではなからうか。この蝉に「寒蝉」の字を宛てる所以だ。

写真は我が家の外壁に張り付いてゐたつくつく法師。弱つてゐたのだらうか、近づいても逃げようとしない。やや緑がかつた小さな体に、透きとほつた羽。和歌に詠まれた「蝉の羽衣」だ。私は「うつくし、うつくし」と眺め入つてしまつた。

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  『元良親王集』(詞書略) 元良親王
蝉の羽のうすき心といふなれどうつくしやとぞまづは啼かるる

  『散木奇歌集』(人々まうできて歌よみけるに蝉をよめる) 源俊頼
女郎花なまめきたてる姿をやうつくしよしと蝉のなくらん

  『拾遺愚草』(秋十首より) 藤原定家
鳴く蝉も秋の響きの声たてて色にみ山の宿のもみぢ葉

  『光吉集』(紅葉) 惟宗光吉
下紅葉いろづきそむるあしびきの山の蝉なきて秋風ぞ吹く

  『六帖詠草』(心性寺にて) 小沢蘆庵
松風の読経の声にきこえしはつくつくぼふしなけばなりけり

  『朱霊』 葛原妙子
つくつくぼふし三面鏡の三面のおくがに啼きてちひさきひかり

[和歌歳時記メモ]

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