雪中眺望
つもりしもただ月つくよめの嶺の雪日影にむかふ空のさやけさ(雪玉集1739)
「夜の間に峰に積もった雪も、ただ月影と見えるばかり。朝日に向き合う空の清さやけさよ」の意。
雪がやんだ明け方、西の峰には月影と見まがう薄雪が積もっている。山の端の空に目を転ずれば、昇る朝日を受け、雪の光を反映してさやかに輝いている。月影のような雪明かりから、さやかな朝日へと向かってゆく、雪の朝の光のうつろいを繊細に捉えている。
「月よめ」は「月読つくよみ」の転訛で、ここは単に月のこと。
永正十四年(一五一七)十二月廿五日の月次御会。
江天暮雪
いつも見る入江の松のむらだちもただ夕波のうすゆきの空(雪玉集1741)
「いつも見る入江のほとりの松の群立ちも、薄雪が降りしきる空の下では、ただ夕暮時の波のようにほのかに確かめられるばかりであるよ」という意であろう。
雪が降り隠す入江の夕景。浜辺に打ち寄せる波も見えないが、樹高に高低差があって波打つような松並木ばかりが、代わりに空の夕波のようにほの見えると言うのである。冬も青葉をつけた松なればこその景色であろう。
炭竈煙
とほくみて帰るささびし夕煙ゆふけぶりわがすみがまを里のしるべに(雪玉集1750)
「私の住む山里の炭竈が、ほそい夕煙を立ち上らせている。それを庵までのしるべとして遠く眺めながら帰る道は寂しい」の意。
自ら炭を焼き、山里の冬を越す世捨て人。「わがすみがま」は「我が住み」「炭竈」と掛けて言うか。永正三年(一五〇六)十二月、御月次会での作。
(2014年6月6日、書き直しました)