高倉山の麓に鎮坐ませり。山田駅より五町。
かけまくもかしこき豊の宮柱なほき心は空にしるらむ
何事のおはしますかは知らねども忝さに涙こぼるる
君が代は濁りもあらじ高倉や麓に見ゆる忍穂おしほ井の水
山田の東に連る。
絵雪燈灯火にほふ伊勢音頭我も昔の人ごこちして
あかね染こさめの伊勢の古市の家ののれんはいと静かなる
五十鈴川(又みもすそ川)の内宮参拝路に架せり。
君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまん限は
もや深き神の宇治橋とどろとどろふみならしゆく朝まうで人
外宮に対して内宮ともいふ、天照大神を祀る。神路山の麓に鎮坐ませり。
五十鈴川高萱葺けるみあらかに神代の手ぶりいちじるきかも
いすず川新たにうつる神垣や年ふる杉の蔭はかはらず
度会の宮路にたてる五百枝いほえ杉影踏むほどは神代なりけり
神のます五十鈴の川の末遠く流れてたえぬ君が御代かな
神路山神杉かげのもや分けて神代覚ゆる朝詣かも
清らなる神の御園の静けさに此身神代にある心地する
神さぶる杉のしづ枝ゆ散る露をめぐみの露とうけてかしこむ
かげ深き大杉のもとにひざまづき小さき吾らいのりささげぬ
聞かずともここをせにせんほととぎす山田の原の杉のむら立
契りありてけふ宮川のゆふかづら永き世までもかけてたのまむ
神風や山田の原の榊葉に心のしめをかけぬ日ぞなき
わたらひの大河水をむすびあげて心も清くおもほゆるかも
君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴の川の流れ絶えせで
神風や五十鈴の川の宮柱いく千世すめとたてはじめけん
高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡を思ひてよみ侍りける
深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
立ちかへる世と思はばや神風やみもすそ川のすゑの白波
神風や朝日の宮のみやうつしかげのどかなる世にこそありけれ
勅として祈るしるしの神風によせくる浪はかつくだけつつ
照らしみよ御裳濯川にすむ月もにごらぬ波の底の心を
五十鈴川その人なみにかけずともただよふ水のあはれとは見よ
我が上に月日はてらせ神路山あふぐ心にわたくしはなし
紫も朱あけの衣もはえはあれど清き神路の山あゐの袖
五十鈴川すずしき音になりぬなり日もゆふしでにかかる白浪