寛保二年(1742)、賀茂真淵に入門。最初期の県門歌人の一人である。明和四年(1767)、六十四歳で死去(六十六歳とも)。生涯独身であったらしい。死後に源道別が編した家集『山の幸』(一名『高豊をぢ集』。続歌学全書第二編収録)がある。『八十浦之玉』には三首入集。
春の始のうた
梓弓春たつらしも武蔵野の小手こてさし原に霞たなびく(八十浦之玉)
「小手さし原」(小手指原)は武蔵国入間郡、今の埼玉県所沢市西部にあった野で、古戦場として名高い。「小手こて指さし」の名は日本武尊が東征の際この地で籠手こてをかざしたことに由来するという。枕詞「梓弓」が効く所以である。このように戦への連想のはたらく地名が、おだやかな春の到来を言祝ぐ心をひときわ高めていると言えるだろう。
なお初二句は万葉集にもありそうな上代調であるが、実際には中世に始めて見えるもので、「梓弓はるたつらしももののふの矢野の神山かすみたなびく」(玉葉集・西園寺実兼)が初例のようである。
春興
千早ぶる神田かみたの杜もりに春くれば朝ぎよめするうぐひすの声(山の幸)
「神田の杜」は神田明神であろう。天下に名を馳せる古社であるが、古歌に詠まれた例は他を知らない。因みに千代田区の「神田」の地名は、もと伊勢神宮の神田しんでんがあったことに由来するという。
「朝ぎよめ」は多く宮中の朝の清掃のこととして詠まれた(「殿守とのもりの伴とものみやつこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな」拾遺集・源公忠)。清らかな早朝の神社の気を、ひとしお浄めるように鳴く鶯の初音。
月多遠情
箱崎の松をならせる秋風に見しふるさとの月ぞもれくる(山の幸)
「箱崎」は筑前の歌枕。箱崎八幡宮はかつて美しい松林の中にあった。はるばる九州を旅する旅人の身になり、秋風が鳴らす松籟を背景として、故郷の月を思慕している。「木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」(古今集・読人不知)も遠く偲ばれる。
余録
社
さいくさやさゆりの花もとりかざり斎いつきぞ祭る神の御前みまへに
月前雲
くまもなく照りそふよりは白雲に秋風そよぐ月のよろしさ