佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線6 閑谷〜久米のさら山
2016-06-26


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画像は川瀬巴水「岡山後楽園」

閑谷しずたに

吉永駅(注:山陽本線の駅。岡山県備前市吉永町)の近傍左方の丘陵の彼方にあり。熊沢蕃山が池田光政の命によりて子弟の教育に従事せし閑谷黌しづたにくわうのある処。

白岩艶子

山ゆりの花ところどころ初夏はほととぎすきく閑谷の里

後楽園

岡山市にあり。(注:岡山藩主池田綱政によって造営された庭園で、日本三名園の一つ。延養亭の庭に舞い降りた丹頂鶴を見て綱政が和歌を詠んだ記録が残る。)

延養亭の鶴を
池田綱政

幾千代をかさねかすらん庭の面にきつつ馴れにし鶴の毛衣

後楽園にて
徳大寺実則

つくりけん心も見えて国民くにたみの後に楽しむ園ぞゆかしき

志田義秀

陽ひの光梅に流れて昼深く若草を踏む鶴の静けさ

落つる陽を蘇鉄林の照りかへす唯心山ゆゐしんざんの夕ながめかな

岡山より中国鉄道(注:今のJR津山線にあたる)によりて津山に到る。

久米のさら山

津山より近し。(注:美作国久米郡佐良山。今の岡山県津山市。)

水尾みづのをの御べの美作国の歌(古今集)

美作みまさかや久米のさら山さらさらにわが名は立てじ万代よろづよまでに

後醍醐天皇(増鏡)

聞きおきし久米のさら山越えゆかん道とはかねて思ひやはせし

補録

後楽園

池田綱政

千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりゐる宿の行末

斎藤茂吉

この園の鶴たづはしづかに遊べればかたはらに灰色はひいろの鶴たづの子こひとつ

久米のさら山

伊勢(伊勢集)

みまさかや久米のさら山さらさらに昔の今も恋しきやなぞ

[和歌名所めぐり]

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