対馬厳原いずはら港
玄界灘にあり、九州と朝鮮半島の中間あたりに位置する島。『魏志』倭人伝には倭国の一国として「対馬国」が記録されている。古くから大陸との交通の要衝であり、万葉集でも遣新羅使の停泊地として名が見える。平成十六年、全島を市域とする対馬市が発足(長崎県に属する)。博多から壱岐経由の船便があり、また博多・長崎から航空便がある。
三野連みののむらじ入唐する時に春日蔵首老かすがのくらのおびとおゆの作る歌
在あり嶺ねよし対馬の渡り海中わたなかに幣ぬさ取り向けて早帰り来こね
対馬の嶺ねは下雲あらなふ可牟かむの嶺ねにたなびく雲を見つつ偲しのはも
対馬島の浅茅の浦に到りて舶泊りする時、順風を得ず、経停すること五箇日なり。ここに、物華を瞻望し、各々慟心を陳べて作る歌
百船ももふねの泊はつる対馬の浅茅あさぢ山しぐれの雨にもみたひにけり
(注:「浅茅の浦」は浅茅あそう湾の一部、一説に厳原いずはら港という。)
対馬にくだりてわが国の方ははるかになりて、新羅の国の山の見えければ
船出せし博多やいづら対馬にはしらぬ新羅の山ぞ見えける
漕ぎ出づる対馬のわたり程とほみ跡こそ霞め壱岐ゆきの島松
新羅辺へは夕立すらし百船ももぶねの対馬の根ろゆ雲ゐ立ち来も
見わたせばさも長々し平戸より対馬の沖にわたす白雲