佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近5 洛北(大原〜賀茂)
2015-03-05


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大原

京都の北方にあり。惟喬親王閑居の地。

在原業平

忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは

寂然

水のおとは枕におつる心地してねざめがちなる大原の里

山風に峰のささ栗はらはらと庭におちしく大原の里

小沢芦庵

わがごとや老てつかれし賤の女がおくれて帰るをのゝ山みち

加藤千蔭

大原やおぼろの清水名のみして秋は月こそすみわたりけれ

金子薫園

鐘鳴るや三千院のあかつきのすみわたる気に涙おちぬれ

木下利玄

大原や野菊花咲くみちのべに京に行く子が母と憩へる

八瀬
高田相川

高野川ながれを清み里の子もあひるも遊ぶ八瀬の大橋

武田祐吉

鳴きかはす鶯目白咲き乱るむかう岸辺の桜山吹

寂光院

大原にあり。安徳天皇の御母建礼門院隠棲の地。

建礼門院

思ひきやみ山の奥にすまひして雲井の月をよそに見んとは

後白河法皇

池水にみぎはの桜散りしきて波の花こそ盛なりけれ

与謝野晶子

ほとゝぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺

河杉初子

ほとほとと打てばむなしき音たつる寂光院のまろばしらかも

うす明り御像にさせばかしこしや寂光院の春のゆふぐれ

寂光院にしるしの石文をものして
柳原安子

うづもるる身は露霜のふる塚も春だに花の雪にかくれむ

賀茂

上下の二社あり、鴨川の上流泉川と瀬見の小川と合流の地なるは下加茂神社にして附近の森を糺ただすの森といふ、上加茂は更に一里の上流にあり。

藤原敏行

ちはやぶる賀茂のやしろの姫こまつ万代ふとも色はかはらじ

加藤千蔭

山あゐにすれる袂の霜さえて月かげこほる賀茂のみたらし

村田春海

みたらしの岩うつ浪もうづもれて雪しづかなる賀茂の御社

千種有功

若葉さすただすの森の夕月夜千鳥にはあらじ今の一声

金子薫園

下賀茂の二月の森はわが親のすがたの如くなつかしきかな

伴葛園

仕へやめて局すみます下賀茂の柴のとぼその紅梅の花

大谷〓子

賀茂の森いづれば遠く咲つづく菜の花畑にかがよふ夕日

補録

大原

和泉式部

こりつめて真木の炭やく気けをぬるみ大原山の雪のむら消え

西行

炭竈のたなびくけぶり一すぢに心ぼそきは大原の里

式子内親王

日かずふる雪げにまさる炭竈すみがまの煙もさびし大原の里

藤原定家

秋の日に都をいそぐ賤しづの女めがかへるほどなき大原の里

宗良親王

大原や雪降りつみて道もなし今日はな焼きそ峰のすみがま

香川景樹

召せや召せゆふげの妻木はやく召せかへるさ遠し大原の里

長塚節

粽ちまき巻く笹のひろ葉を大原のふりにし郷さとは秋の日に干す

寂光院

九条武子

書ひらけば寂光院のものがたりなみだぐましも秋の夜にして

賀茂

よみ人知らず

ちはやぶる賀茂のやしろの木綿ゆふだすきひと日も君をかけぬ日はなし

藤原俊成

川千鳥なれもやものは憂はしき糺ただすの森をゆきかへりなく

いつきの昔を思ひ出でて
式子内親王

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[和歌名所めぐり]

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