佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州25 大宰府跡(都府楼跡)
2017-04-14


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補録

大宰府跡(都府楼とふろう跡)

大宰府は律令制において九州を統括した役所。「遠とほの朝廷みかど」とも呼ばれた。市などの地名としては「太宰府」と書くが、歴史上の名称としては「大宰府」。都府楼は大宰府政庁の正殿。西鉄天神大牟田線都府楼前駅の西約一キロに政庁跡がある。

柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下りし時、海路にて作れる歌(万葉集)

大君の遠の朝廷とあり通ふ島門しまとを見れば神代し思ほゆ

大伴旅人(万葉集)

ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山のかたにしあるらし

(大宰帥を退任して帰京後、筑紫の沙弥満誓に贈った歌)

前田利定

石ずゑは夏草の中に埋もれて麦の風ふく都府楼の跡

太宰府のあとにて
会津八一

いにしへ の とほ の みかど の いしずゑ を くさ に かぞふる うつら うつら に

菅原道真をおもひて

わびすみて きみ が みし とふ とふろう の いらか くだけて くさ に みだるる

佐藤佐太郎

大野山まぢかに曇り逝ゆく春の麦の畑は都府楼のあと

[和歌名所めぐり]

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