和歌歳時記:韓藍(からあゐ) 鶏頭(けいとう) Cocks-comb
2010-08-30


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厳しい残暑が続いてゐるが、夕方の風の涼しさには秋を感じる。来るべき極彩の季節を予告するかのやうに、鶏頭の花がひとしほ紅を深くしてゐる。

鶏頭はヒユ科の一年生植物。花は夏から秋にかけて咲く。色は紅のほか黄や白、桃色があり、形状も先の尖つたのや丸いのやら様々あるが、鶏冠(とさか)状の紅い花がやはり印象づよい。英名の"Cocks-comb"も鶏冠(とさか)の意だ。

我が国で鶏頭は古く「韓藍(からあゐ)」の名で呼ばれた。《大陸渡来の藍》といふ意だが、この「藍」は色の名でなく染色用植物であることを示す語だ。奈良時代すでに渡来してゐたことは万葉集の歌からも知られる。花汁を写し染めに用ゐ、また色を愛でて庭に栽培された。

『万葉集』巻三  山部宿禰赤人の歌一首

我が屋戸(やど)に韓藍(からあゐ)蒔(ま)き生(お)ほし枯れぬれど懲(こ)りずてまたも蒔かむとぞ思ふ

庭に種を蒔いて育てた韓藍が枯れてしまつたが、再び美しい色を見たい、懲りずにまた種を蒔かう。――鶏頭は移植が難しいので種から育てるが、熱帯原産のため寒さに弱く、日本の冬を越すことはできない。毎年、種を蒔いては育てねばならぬわけだ。
もつとも、赤人がかう詠んだ裏には、どうやら恋の心が隠されてゐるらしい。といふのも、同じ万葉集の巻七には「秋さらばうつしもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰か採みけむ」といふ歌が、花に寄せた恋の譬喩歌として分類されてゐるのだ。赤人の歌も韓藍を美女になぞらへ、「苦労して育てた恋も結局実らずに終つてしまつたが、懲りずにまた別の美女にアプローチしよう」といつたところに真意があつたのだらう。

古今集を始めとする八代集には「韓藍」の名が見えず、平安時代の和歌にこの植物の存在感は薄い。ところが中世頃から再びよく取り上げられるやうになる。

『新拾遺集』 光明峰寺入道前摂政家歌合に寄衣恋  藤原知家

韓藍のやしほの衣ふかけれどあらぬ涙の色ぞまがはぬ

貞永元年(1232)七月の歌合に「衣に寄する恋」の題で詠まれた一首。「韓藍に幾度も浸して染めた衣は深い紅であるが、それとは別の涙の色はまぎれもない」。
韓藍で紅深く染めた衣に、より鮮烈な血涙の色が滲む。妖艶の美を競つた新古今前後の歌人たちの作によつて、韓藍のまがまがしいまでの紅は初めて生きたと言へよう。

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羽毛鶏頭 鎌倉市瑞泉寺にて

ところで奇妙なのは、同じ頃、韓藍の色を青系統の色としてゐる歌が見えることだ。

『壬二集』 内裏歌合に水辺柳  藤原家隆

竜田川やまとにはあれど韓藍の色そめわたる春の青柳

竜田川は日本の川なのに、韓藍の色で染めたやうに、岸辺の柳は春になつて青々としてゐる、といつた意の歌。この歌の「韓藍の色」は藍色と解するほかない。
どうやら、一部の歌人の間で韓藍が藍染めの原料である藍(蓼藍(たであゐ))と混同されてゐたやうなのだ。

蓼藍も古く大陸から渡来した植物であるから、その意味では「韓藍」と呼ばれてもをかしくはない。しかし、万葉集の歌からも、「鶏冠草 加良阿為(からあゐ)」と記す平安初期の『本草和名(ほんざうわみやう)』からも、韓藍が本来鶏頭を指したことは疑ひのないところである。

思ふに、鶏頭の花を紅染めに用ゐることは早くに廃れ、「韓藍」の名の所以も忘れられて、やがて「鶏頭」の名にすつかり取つて代はられたのだらう。俳諧の歳時記に「鶏頭」はあつても「韓藍」の名は見えない。

「鶏頭」と名は変へても、その烈しい色が愛され畏れられ続けたことは、近代の心ある歌人たちの作によつても知られるところだ。

『浴身』 岡本かの子

鶏頭はあまりに赤しわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ


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[和歌歳時記メモ]

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